2015-01-01から1年間の記事一覧

10日に1回の更新

100回にいかず、36回でブログの更新で今年が終わる。頻度でいえば、約10日に1回だった。400字を目安に書き綴ってきた。たいがいは何かに詰まって、掃除をした後に書いていた。 経済的な生活が送れなかった1年だった。モノ、カネ、時間を有効に資…

2015が終わる

2015年が終わろうとしている。環境が変わり、関係も変わった。劇的な変化が日常にも及んだ。とにかく疲れた。疲れ果てた。 溜めたのは、疲れであり、怒りであり、嫉妬であった。なんだよ、面倒くさい、疲れた、そんな言葉を口にすることが多くなった。「…

溜めないこと

今年のキーワードは「溜」だった。力を溜める、そんな意味で込めた一文字だった。今年もあと残すところ2ヶ月となった。力が溜まったというよりは、仕事を溜めた感がある。 溜めることのマイナス面がでている。仕事を溜めすぎている。。拙速を心がけなくては…

日常をていねいに

電気をつけたまま寝る。歯磨きを忘れる。シャワーで済ます。そんな生活を続けていると、身体は疲労感でいっぱいになる。忙しいから、そんな生活が続いてしまう。そうして、気持ちも滅入ってしまう。 ふろ、そうじ、せんたく、ふつうに生活していればあたりま…

楽しさの裏側

どうもテンションが高くなっている。明日までが憂鬱で、来なければいい、そんなことを思っていた日々だった。その反動として、変なテンションの高さがある。会話もなんだか、空回りしている。 もちろん、会話を楽しむことは大切だ。そこに、あれも言おう、こ…

自律の意味

自律というと、自分に厳しくというイメージがある。そこで大切なのは何によって自らを律するかという格率である。 その格率で見出されるのは、自らはどうしたいか、どうなりたいかという欲望である。自律と欲望と一見、相反するかもしれないが、それはコイン…

ポジティブにとらえること

なかなかやる気が起きず、休暇中にやろうと思ったことの多くは消化できなかった。休暇前というのはあれこれやろうと、普段できていなことを大量にやろうとする。 けれども、ルーティンでさえ手一杯な自分がそれほどの量をこなせるわけない。時間があるからと…

旅の目的

今の自分が変わるかもしれない。そう思って旅に出る。その場所に行くということが目的ではない。 結局、いつもの場所にいる限り、なかなかOFFすることができない。ならば、場所を意識的に変えるしかない。場所を意識的に移すことにより、今ある自分をOFFにす…

手引きと相互承認

今必要なのは、手引きすることと相互承認である。 手引きというのは、到達すべき目標に向かって必要な技能と段取りを仕組むことである。仕組むということは、逆算の思考である。それを可能にするのは、見通しと余裕である。余裕があることは、創造性を生み出…

ヒット主義であることの難しさ

自分がおもったことのほとんどは達成されない。不全感だけが残る。自分の意思の弱さを知る。知行合一であることは難しい。知っていることや思っていることを行動にするためには強い意思が必要なのだ。 自分の性格を省みると、意思が弱い。意思薄弱で、行動に…

苦しみの日々

こうして書くことは自分にとっての癒しの行為であると実感する。このブログを書き始めた時は、発信基地、あるいは、情報の蓄積と捉えていたのだけれども、年月が経つとともにその位置付けが変わってきたと思う。それは、書くことによって、自らのもつ、やる…

教養を積み重ねること

ノリと笑いによる盛り上がりをめざしていた。しかし、その一方で考えるということがなおざりになっている。それは、私自身の勉強のなさが背景にはあると思う。テキストをしっかりと読み込むこと、精緻に読み解くことがなければ、単なる表層的な「おかしさ」…

環境と経験

環境が変わる。関係もゼロからとなる。それによって、まったくもって見通しのない状況となる。その結果、疲労が蓄積し、さらなる悪循環を生み出す。4月はそんな状況であったと、ふりかえる。 これで大丈夫だろうという、ある程度の信頼があることによって、…

他者というスイッチ

自分は意志が弱い。意志薄弱である。ああしよう、こうしようと思っていたとしてもなかなか実行に移せない。結局、そのまま意思をもっていても、身体が動き出さない。身体か、意識かといったら、意識先行型なのだ。いわゆる、頭でっかちというやつだ。意識が…

掃除と他者

人を呼ぶようになると、掃除を心がけるようになる。よく見せようとする願望が根にあるからだ。細かいところまで、できるだけ注意深く、掃除機をかけ、拭き掃除をする。そうすると、部屋をきれいに保つことができる。 人が来るということを前提にするならば、…

顧みること

いまだ人生を語らず、そんなことを思う。思わず語りたくなる、自分の存在を証明したくなる、そんな衝動にかられる、あるいは語ってしまうことがある。その瞬間はとても気持ちがよい。でも、その後後悔してしまう。 言うべきことを言うと思っても、言い方があ…

根をはること

今ある立場で自分は何を成し得たのだろうか、そんな思いを抱く。表舞台に立つことなく、何ら達成感を味わうことなく、賞賛されることもなく、ただただ裏方として動いた日々だった。 そんなことを実感させる風景を見て、自分は心が折れた。自分の弱さを痛感す…

[15-19]モノと行為

こうしたい、ああしたいと意識はある。しかし、なかなか行動に移せないである。そんなときにどうするか。それは、それを実現するためのモノをつくる、もしくは獲得するのである。 結局のところ、何かをするためにはなんらかのモノ=道具がいる。例えば、これ…

緊張をもつこと

ひさしぶりに緊張の場をもった。意識するしないに関わらず、緊張感をひさびさに感じていたことはたしかだ。そして、それは自分が直接的にではないにせよ、評価される場であったと感じていたからだ。 そうした場に立つことによって、やはりじぶんのあらが見え…

傲慢さの予感

今日、後輩にきついことを言った。正直、その仕事ぶりに苛立ちを感じたからだ。はっきり言って、何を準備し考えているのだ、そういった怒りすら覚えた。もちろん、自分は段取りが良い方ではない。けれども、わからないところは調べるし、聞くし、考える。そ…

期待と他者

わたしが生きている世界は、主観的な解釈によって成立している。それは、客観的な事実の世界というよりは、意味の世界である。とすると、わたしの生きている世界とあなたの生きている世界にはズレがある。なぜなら、わたしのもつ意味とあなたがもつ意味とは…

欲望を肯定すること

わたしは欲望する存在である。そのことを肯定しつつ、かつ他者もまた欲望存在であることを肯定しつつ、ともに幸福な生を営むことができるかという問いに対して、本質的に原理的に筆者は考えようとする。 これまで、わたしたち人間はその欲望と向き合ったとし…

開放性と聴くこと

自らの空間を開放的にすること、言い換えれば、いつだれが来ても、だれを呼んでもよいように準備をしておくこと、そのために部屋を整理しておくこと、そのことにより、気兼ねなくひとを呼ぶことができる。その開放性を担保するためにはどうすればよいのかと…

言霊というのがあるのなら

直接、相手に面と向かって言葉を吐かなかったとしても、どこかでその言葉を吐いているとそれが伝わってしまうのかもしれない。それが本心でなかったとしても、その言葉通りに現実が動いてしまう。そんな経験をすることが多い気がする。だからこそ、言葉を考…

開くこと

5月くらいに、ある憧れの人の家に行った時以来、自分の家をオープンにしよう、人を招く家にしようと決めた。それ以来、自分の部屋を片付けること、整理することを少しずつではあるが、心がけてきた。そのおかげもあってか、1年近くだれも呼んでいなかった…

波があることを知る

よい流れがあると思っていた。それが態度にでていたのかもしれない。変な感情の高ぶりがあったのかもしれない。それが不用意な発言につながり、それが勘ぐられる理由となっていたのかもしれない。自然体というのは難しいものだ。ふつうであること、感情を平…

静かに思索する

ひとりであること、孤独であること、それが二十歳の原点。そんな言葉を覚えてから、十数年が経つ。ひとりであることへの恐れといったものはない。なぜなら、自分は孤独であることを経験しているから。その孤独であった日々がいまの自分の強さをつくっている…

ひとりであること

自分が所属している組織、集団への違和感。その違和感というものは、その集団のもっている空気であったり、質であったりする。 人は常に不満を抱くものといってしまえば、そうだろう。けれども、明らかに集団の質が低下している、空気が緩慢たるものへと変わ…

前向きな身体

風邪が治りかけ、身体も少しずつ快調になってきた。それによって、気持ちもプラスになってきた。 よく心身二元論というのがあるが、人間はやはり身体性というものが基底にある気がする。どうしても自分は今まで意思という精神的なものへと視点が向きがちだっ…

バイオリズム

バイオリズムでいうなら、今は底のような気がする。もちろん、風邪で体調を崩し、自分の思ったように物事が進んでいないというのもあるのだけれども。 だいたい、自分が調子を崩しているときは、余計な自分語りをしてしまう。無理やり流れをつくって自分語り…