開放性と聴くこと

 自らの空間を開放的にすること、言い換えれば、いつだれが来ても、だれを呼んでもよいように準備をしておくこと、そのために部屋を整理しておくこと、そのことにより、気兼ねなくひとを呼ぶことができる。その開放性を担保するためにはどうすればよいのかといえば、それは家事をすることだ。シンプルだ。

 自分はそのことに気づいたのが、昨年くらいだった。それまでの自分はといえば、仕事の忙しさや疲れにかまけて、家事を怠っていた。一人暮らしというものをはじめてから、日常的に家事、もう少し言うならば、部屋の掃除を行うことというのは習慣になっていなかった。むしろ、それは優先順位の低いことであった。

 けれども、昨年くらいから、習慣というものに目がいくようになり、その結果、部屋を掃除するということを習慣として意識するようになった。人からすれば、当たり前のことかもしれない。でも、自分にとっては画期的なことであった。そうすることで、なんとなく日常の運気の流れが良くなってきた気がする。

 当たり前の掃除を積み重ねることによって、空間が整う。それによって、自分自身も整っていく。そんな気がする。それによって、人を呼び込むことができるようになってきた。けれども、ひとつ課題がある。

 それは、聴くことだ。人を呼び込むことを目標としていたからこそ、その先のこと、人を歓待するということがうまくできていない。喋り過ぎてしまったり、気を使いし過ぎてしまったりと。過剰に自分語りをするのではなく、聴くこと、そして、変な虚勢をはらないこと、それらは開放的になってきた自分の課題であり、結局のところ、自然体に歓待できる自分になるということなのだと思う。そのためには、まず聴こう、聴こうとすること、そこからはじめていくしかない。