欲望を肯定すること

 わたしは欲望する存在である。そのことを肯定しつつ、かつ他者もまた欲望存在であることを肯定しつつ、ともに幸福な生を営むことができるかという問いに対して、本質的に原理的に筆者は考えようとする。

 これまで、わたしたち人間はその欲望と向き合ったとしても、それをどう律するかという、いわば禁欲や自律という点に目を向けていた。しかし、そうした自律ではなく、欲望を充分に満たしつつ、幸福感を味わえる、そういった生の充実、快楽といっては言い過ぎかもしれないが、少なくとも、そのための考え方を筆者は提示しようとしているのではないかと考えた。

 そして、それは他者とともにという共生という聞こえのいい言葉ではなく、欲望あるいは自分の意志というわたしから出発していることが肝ではないかと思う。出発点を欲望するわたしにおくこと、それによって他者に応えようとする倫理的な責任感もしくは重さから解放しようとする意図を感じた。

 

 

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