運動不足

 久々にジョギングする。息切れする。驚くくらい走れない。運動不足を痛感する。

 記事を書こうとする。なかなか頭が動き出さない。1、2行書いてはまた消す。それを繰り返す。指が滑らかにキーボードを叩いていけない。考えがなかなかまとまらない。頭も指もとまってしまう。

 自分にとって必要な運動は走ることだけではない。

 書くこともまた運動なのだ。

 そして今、運動不足を痛感している。

 昨年、日記を1年間書き続けた。もちろん、後日まとまって書くこともあった。だが、書くことのハードルは低かった。書くことが日常だったからだ。

 あっという間に習慣は失われていく。気付いた時には、走ることも、書くこともハードルが高くなっている。億劫になっている。ふんぎらないとできないでいる。そして、それらが遠ざかっていく。

 結果、思考や精神が停滞している。運動不足は心と頭の代謝を妨げる。運動を再開するしかない。

 

 

 

 

 

 

読書という筋トレ

 4月から意識的に読むことに集中してきた。本や新聞などを読んでいても、さらっと斜め読みする習慣が身に付いていて、読んでいても集中力が続かないのだ。その結果、読んでいてもなかなか中身が入ってこなかった。

 もちろん、その背景にはXを見ることが増えたこともある。長い文章を読む筋力と集中力がSNSにハマる中、少しずつ失われていったのだ。

 当初は読んでいても、なかなか文章が頭に入ってこなかった。ついつい読み流してしまっていた。流し読みのクセがとれなかった。

 しかし、読む量が少しずつ増えていくにしたがって、文章を読む集中力が戻ってきた。長い文章を読む筋力が徐々に回復してきた。

 気付いたら、一晩で自然に一冊読み切っていた。物語に没入する集中力が戻ってきた。読書も筋力トレと同じく、使わないと衰えていく。だから、コツコツと読むことを続けていくことで回復してきた筋力を維持したい。

2026年は「内在」

 例年と違い、1月に今年のスローガンを書かなかった。決まらなかった。それを考える時間がなかった。その作業から逃げていた。昨年は、refrective-powerであった。手を動かしながら内省することを大切にしたかったからだ。

 達成できたか疑わしいが、意識することはできた。それによって見えてきたことがある。自分の中にある「宝」を見つけることだ。

 きっかけはミスチルの新曲のagainだ。その歌詞から自分にも気付いていない宝があるのだと考えられた。これまで、借り物の考えを価値としていた。外からの枠を自分にはめていた。

 しかし、キャリアの復路や人生の復路を走り続けためにはそれではダメだ。他でもない私の中にある価値を大事したい。その意味で、2026年のスローガンは

内在

である。どうあっても、私は私なのだ。ならば、何かに寄りかかるのではなく、内に在りながら、じっくり価値を見出していく。その意味で内在だ。

残り7ヶ月のマニフェスト

 充電期間に入り、5ヶ月が経つ。その中で、二つのことを軸に置こうとした。一つは読書であり、もう一つは運動である。ともに100冊、100キロを一つの指標として自身をアップデートしようと考えた。社会人になって、十数年、仕事に慣れることもそうだが、限られたインプットもあり、自分自身、枯渇している気がしてならなかった。

 それゆえ、まずはひたすらインプットしたいと考えた。一時、一つのテーマを深めようとも迷いもした。しかし、まずは点ではなく、面を広げることを優先したい。面を広げる中で、気になる点を深堀りすれば良いのだから。

 もう一つは運動だ。40代となると、体力や身体の衰えを感じざるを得ない。新たなインプットには、それに耐えうる体力が必要となる。さらにいえば、やりたいことをやるにもベースとなる体が通常運転でないと難しい。それゆえ、運動をしようと思った。

 よって、二つを基軸に残りの7ヶ月を過ごしていく。

充電に入る

 充電期間にはいる。だからといって、特別なことはない。時間があっという間に過ぎていく。

 意外に自分の時間の少なさに、焦りを感じる。かといって、仕事がある時なら、それに忙殺される。だから、特別な時間と思うことで、自身を不安に陥れるのではなく、まずは目の前の日々をただ過ごす。いま、ここを味わう。

 そのためには、体を動かすことだ。その要素は二つある。

 ひとつは、手を動かすこと。言い換えれば、読みながら、書く。そして、考える。手を動かすことによって考える。考えることが何より自分は好きだ。だから、思考する、すなわち、手を動かしていく。

 もうひとつは、縮こまり固くなった体を伸ばすことだ。年齢のことや運動不足もあり、かなり体が硬い。それは怪我のもとだ。だから、まず自分の体を自分でほぐしていく。

 こうして、マインドフルネスな充電期間にする。

半月を観察する

 2025年が始まって、半月が過ぎだ。立てた目標を再確認する。立てた時は明確である。しかし、時が経つと、それが曖昧な記憶となる。それゆえ、立てた目標を見返す必要がある。

 今年のテーマは「内省」である。自身を見つめ返す。そのために、ペンを持ち、手を動かし、字を書く。この点については、意識できている。

 その一方で、感情の浮き沈みがある。怒りの感情、疲れの感情、そうした感情が渦巻く。休むことを心も体も求めている。だが、休むことが許されない。そして、イライラが募っていく。その感情をどう処理していいのかがわからない。明確な答えが見つからない。

 二言目には、疲れた。あるいは愚痴が出てくる。精神的に良くない。

 体も、心も疲れ果てている。やる気が湧いてこない。けれども、走るしかない。この状況は自分にとっていいことではない。とにかく、イライラを爆発させないことだ。

2025年はreflective power

 reflective power

 2025年のスローガンだ。昨年はself-renovationだった。

 偶然にも、「re」がともについている。再びという意味だ。その意味を考える。それは、人として、社会人として、復路に入ろうとしているからではないか。自身を問い直す時期に入ってきているからではないか。

 ゆえに、内省である。

 孤独になって、心の声を聴いていく。ペンを持ってノートや手帳に書いていく。焦らず自身を探求する。行動しなければ始まらない。けれども、それだけでは勿体無い。その意味や価値を考えることが大切なのだ。

 そして、体を伸ばしていく。強張る身体を緩めていく。心身と向き合う。他でもない、わたし自身を見つけていく。しなやかで深みのある人間となり、さらには社会人としての深みを増していく。

 その推進力がreflective powerである。内省し、深みを増す2025年にする。