2007-03-01から1ヶ月間の記事一覧
というのは、以前、自分が通っていた予備校の講師がいっていたことばである。 なんで、こんなことばを急にだすかというと、そのことばが、いまこれからの態度としては、すごく重要に思えてきたからだ。というのも、自分が、やるべき物事に向かう態度というの…
最近、勉強法に関する本を結構読んだ。そこで思ったこと。 勉強って、いわば実験みたいなもんなんじゃないかなと。そして、勉強法は、その実験方法。 要するに、ある結果を出すために、試して観ること。それがうまくいけば、結果はきちんとでる。実験がうま…
野田秀樹は、積極的に「演劇とは」という「演劇観」を語らない演劇人という印象がある。むしろ、躍動的な演劇を、そうして「演劇」を固定的なひとつの観念として捉えてしまうことに対して、意識的に避けている気がする。けれども、本書では、野田秀樹の「演…
どうも自分は「べきである」というのとらわれやすい性格のようである。何々をしなければならない、という「べき」で自分を縛ることが、クセとして自分にあると思う。 しかしながら、「べきである」という格率によって自らをがんじがらめにしているからといっ…
[…]この問題(引用者註 いったい人生は、生きていくだけのねうちがあるか)についてのジェイムズの答案は、こうだ。人生は、既成の事実ではなくして可能性である。われわれが、自らの行動によってその可能性と取りくむものである。だから、われわれがどんな…
別に失恋したわけではない。でも、なんとなくこの詞が好きだ。隙間から、希望の光が差し込んでくる。 太陽は昇り心をつつむでしょう。 やがて闇はかならず明けてゆくから どうしてもっと自分に素直に生きられないの そんな思い 問いかけながら あきらめない…