前向きな身体

 風邪が治りかけ、身体も少しずつ快調になってきた。それによって、気持ちもプラスになってきた。
 よく心身二元論というのがあるが、人間はやはり身体性というものが基底にある気がする。どうしても自分は今まで意思という精神的なものへと視点が向きがちだった。意志薄弱といったそんな言葉によって自分を捉えていた。自分の意思の弱さにばかり目がいってしまい。身体というものへの視点が弱かった。特に学生時代は身体性よりも、意思という精神性を重視しがちだった。
 けれども、仕事についてから、身体への興味が出てきた。それは、自分が歳をとったということもあるのだけれども、日々の仕事の疲労感とどう付き合うかということが大きな課題となっていたからだと思う。正確に言うと、事実としてある、どうしようもない身体的な痛みが自分にのしかかっていたからだ。それは、その当時の仕事が、本当に肉体を酷使する、それまでの自分の生活では想像もしなかったものだったからだ。結局、そうするとマッサージだったり、整体だったりという、今ここにある身体的な痛みを和らげていくほかなかったからだ。
 そうした生活を続けていくと、私の意思ではどうにもならない、リアルな身体をもつわたしを意識せざるをなかった。その中で、野口体操に通ってみたり、禅寺で座禅を組んだりした。もちろん一方で、自己啓発系の書物に触れたりもした。
 ただここ数年の中で、特に去年は走るということ、このことを意識した。それによって、走る自分、走れる自分によって前向きになれる気がした。それによって、生活が好転していた気がした。それによって、片付ける意識が生まれつつあった。そうすると、意思によって前向きな生活が生まれるというよりも、運動によって前向きが生活が生まれるという、精神ではなく身体によって前向きが生活が生み出されるということがわかりはじめてきた。であるからこそ、前向きな身体ということを意識していきたい。