他者というスイッチ

 自分は意志が弱い。意志薄弱である。ああしよう、こうしようと思っていたとしてもなかなか実行に移せない。結局、そのまま意思をもっていても、身体が動き出さない。身体か、意識かといったら、意識先行型なのだ。いわゆる、頭でっかちというやつだ。意識が高い系という言葉があるが、それは自分にあてはまるのかもしれない。意識は高いが・・・というやつだ。

 社会人になってから、意識よりも身体、フィジカルの大切さを実感している。疲れてたら何もできないし、結局、実行するための集中力は体力なのだ。つまり、意識が高かったとしても、私は現実には身体という制約があるのだ。言い換えれば、フィジカルこそが、好むと好まざると、わたしの行為を規定する。それが現実ってやつなんだ。

 そうしたフィジカルな面に規定しても、スイッチを押してくれるのは他者だ。あくまでもそれは自分だけなのかもしれないが、他者とのかかわりが確実にわたしの意思を強くし、動かしてくれる。私の意識は、フィジカルと他者によって、具現化され現実となるのだ。