体が資本である。いくらやりたいことや仕事が溢れていたとしても、健康でなくはできない。至極、当たり前のことだ。でも、忘れてしまうことが多い。できるからこそ、健康を後回しにしてしまう。
歯が痛い、肩が痛い、頭が痛い。それらは、予兆もあるけれども、いきなりやってくる。その結果、何もできなくなってしまう。そうすると、健康のありがたみが身に沁みる。
体は言うことをきかない。たくさんのことを思ったり、感じたりすることはできるけれども、体の健康はなかなか自由にならない。
体はわたしのもののはずなのに、自分の意思通りにならない。健康もそうだ。意思によって、私たちは痛みをコントロールすることができない。わたしのものであっても、自由にままならないもの、それが体だ。
だから、体を意思によってコントロールしようとする術が発展してきたのかもしれない。自由意思と身体、面白い問題だ。