【14−06】自己啓発の危うさ

 自分はけっこう自己啓発本を読むのが好きだ。なんか、読むと「おれって意識高いじゃん」という自己陶酔を得られるからだ。けれども、実質が伴っていないと、それは単なる趣味「自己啓発」になってしまう。自己啓発って結局、何か成し遂げたい何かがある、その着火材のはず。だから、火をつけても、その火を消さぬように努力、行動しないと意味がないのだ。
 今の自分は、「意識が高くても実質が伴っていない」。メッキがいつでもはがされてしまう状態なんだ。だから、どうしたいのか、何がよいのか、それをはっきり自分で言い切れるくらいに考え抜かないとダメなんだ。そして、考え抜くだけじゃなくて、それを成果として、目に見える観察可能なものとして提出しなければ行けないのだ。
 そういった意味だと、今日はひたすら仕事に打ち込んだ。やるべきことをひたすらやっつけようと、全体に関わる仕事を、自分なりに味付けをしながらたたき台をつくることができた。
 少しずつだが、頭が回転してきた。それは、いまこうして書いていることを続けているからだと思う。手を動かすこと、頭だけでなく身体を動かすことが大事なのだ。そう思って、いまのポジションでできることを見つけながら、たたき台をつくる日々だ。
 やる気を失うのでもなく、やりがいを人から与えられるのでもなく、大切なのはやりがいは自分で見つけてこそ、やりがいとなるんだ。