走り始める

 この夏初めて、走り続けることができた。といっても、週に2、3回のことなのだけれども。ただ、習慣として走るという経験は今までなかった。宣言するということが、これほどまでにストレスに、けれども、自分にとって必要なプレッシャーになるとは思わなかった。
 ただ、走り続けたという習慣が少なくともある種の自信をもたらしたのも事実だ。身体は、私であるという固有性を示すと同時に、いかんともしがたい限界を感じさせてくれる。
 やせたい、もう少し走りたいと私が思ったとしても、身体は思った通りに「変態」してくれない。しかし、そうして「変態」しない身体こそ、私なのだ。私であることの身体性を見つめることができた1ヶ月だった。

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 久しぶりに何度も見ている作品。内容も覚えた。展開も覚えた。ただ、そのスピード感と映像のテンポに魅せられ、ついつい見てしまうのだ。

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走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 きっと、走り始めることとこの本を読むことは自分にとっては不可分なのだと思う。ただ、今までとちがうことが、走ることがこの1ヶ月で習慣となったことだ。この本は、走ることが思考することにつながっていると感じさせる。