流れの速さ

 ブログを書くと、常に「時の速さ」を感じさせる。書こうと思うと、以前のブログを見ると、それは2か月前、あるいは3か月前となっている。今、自分にとってこのブログは「時を書きとめる」というよりは、「時の速さ」を実感するツールとなっている。
 そこで、いまの自分はというと、今年は「壁を超える」という言葉がふさわしい1年になりそうだ。自分の力量が試される、「お前はどれほどのものなんだ」と、自分の底が見られる、あるいは、自分で見る年になりそうだ。

[13−03]
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

 一年ぶりといってよい位に、長編小説を読む。長い間、小説を読まない時期があったとき、読む契機となる作家が、村上春樹だ。その作品の持つ、暗さ、孤独さ、他者との距離感、集団との違和感、それが却って、自分にとっての潤いをもらたらす。ある種のネガティブさが、自分にとっては、ポジティブさをもたらす。それが、村上春樹という作家が浸透し、共鳴を呼び起こす理由だと思う。抽象的な言い方しかできないが、そうなのだ。そして、この物語は、深読みできると思わせる、その物語が持っている深みや味わい。それも彼が物語が支持される理由だと思う。

[13−02]
荒ぶるをつかめ! 早稲田ラグビー主将たちの苦闘

荒ぶるをつかめ! 早稲田ラグビー主将たちの苦闘

 私はラグビーが好きだ。それも、早稲田ラグビーが好きだ。それは、展開ラグビーに魅力を感じるというより、熱を感じるからだ。しかし、その「熱」が感じられない一方で、帝京大時代となった。帝京のラグビーは「強さ」を感じる。しかし、つい数年前までは、その「強さ」、相手を圧倒する風格を早稲田ラグビーはもっていたはずだった。本書は、復活から王者としての風格をもった00年代のワセダをおったドキュメントである。やはり、早稲田ラグビー部の主将は「熱」をもっているのだ、と思う。

[13−01]
日本近代史 (ちくま新書)

日本近代史 (ちくま新書)

 今年は歴史を勉強しようと思って買ったが、難しかった。歴史とは「史料から事実を掘り起し、こういえるはず」というカッコつきの事実認定だと思った。つまり、どれだけ史料をフォローし、「こういわざるおえない」という確信によって描き出す解釈だと思う。そして、読者は、筆者の確信を提示される資料によって追体験していくのだ。だが、その資料を読むのにおっくうになっている自分がいるので、なかなか確信がひとつの像として理解できていないのだ。歴史の書物とは、哲学と一緒で、丁寧に読み解く必要があるのだと思った。