一息入れる

 新年早々の三連休はありがたい。といっても、ひたすら寝ていた。どうも疲れが慢性化しているようで、疲れをとりきれないのだ。どうすれば、疲れが取れなるのか、日々考える。
 先日、少人数の飲み会があった。そこで、たわいもない話をした。いろいろと話をしたが、「職人」型と「経営」型に分かれると思った。それは、「敵を作る」タイプと「敵を作らない」タイプの違いともいえた。自分は、後者だなと思った。しかし、それが自分の強みであると同時に弱みであると思う。つまり、全体を俯瞰して、いかにして組織を潤滑にバランスよく前へと推進させていくかということを考える一方で、あまり「こだわり」を見せないのだ。
 だからこそ、「敵を作らない」ように見えるのかもしれない。そして、私は不条理なことでもあまり訴えない。それは「上司の上司に訴えたほうが良い」と言われるのだが、どうも私はそうすることが得策だとは思えないのだ。不条理を不条理として飲み込み、自らに課せられた仕事をクリアしていくこと、そのことのほうが自分には大事だと思えるからだ。
 たしかに、メンタルの安定からもいったほうがいいのかもしれない。しかし、どうしても自分は飲み込んでしまおうと思うのだ。それによって、自らの器が大きくなると思っているからだ。他者よりも高みに立って、飲み込む。飲み込むことによって、自らを大きくする。その飲み込み方は「従順」という方法もあれば、「対立」という方法もあると思う。
 自分は、まず「従順」によってすべての要求をクリアし、相手に認めさせる。そこから、「折衷」が見えてくる。相手の要求をクリアできれば、相手はわたしを認めてくれる。認めがあれば、要求を飲ませやすくなる。大事なのは、「認められる」ということだ。それによって、ラポールが築かれるのだ。
 「従順」なふりをして、「牙」を研ぐ。折衷主義者。何といわれようと、それが自らのスキルアップにつながり、器の大きさにつながってくると思うのだ。