深掘りしていくこと

 いま自分がしたいことは、自分自身を深掘りしていくことだ。セミナーや研究会に出席して、高みに登った気にならないことだ。あれも知っている、これも知っている、ではなく、なぜお前はそう思うのか、そうしようと思うのか、そうした問いを自身に突きつけることだ。

 泉が枯れているのか、それとも、豊かに湧き出るのか、分からない。けれども、この10年で必要なのは、忍耐強く、コツコツと自分を掘って行くことだ。こんなことを書いているうちに、村上春樹の文章を思い出す。

 

自慢するわけではないが、まわりをどれだけ見わたしても、泉なんて見あたらない。鑿を手にこつこつと岩盤を割り、穴を深くうかがっていかないと、創作の水源にたどり着くことができない。(中略)作品を書こうとするたびに、いちいち新たに深い穴をあけていかなくてはならない。しかし、そのような生活を長い歳月にわたって続けているうちに、新たな水脈を探り当て、固い岩盤に穴をあけていくことが、技術的にも体力的にもけっこう効率よくできるようになっていく。*1

  きっと今までの10年は、コツコツと掘るというより、泉をあれこれ探しては飲み、飲み干すことなく、あっちに泉があれば、また移りというように、ジプシーのようにすれば自然に伸びていくと思っていた。

 しかし、どこか違う。そんな違和感が自分の中に残った。問いの矢印を自分に向けることなく、ただふわふわと目の前の状況を切り抜けてきた。それではなんだか虚しい。

 この10年の過ごし方は、自分を深掘りしていくことだ。コツコツと自ら穴を探り当て、水脈を見つけ、深く深く掘っていく。そうすることで、自分の「観」が経験的につくられていく。大事なのは、経験をコツコツと深掘りしていくことなんだ。

*1:村上春樹『走るときについて語るときに僕の語ること』、文藝春秋、2010、p .69