けがの功名

 新天地にやってきて、1か月経った。慣れたこともあれば、慣れないこともある。周囲の勢いに押されて、自分の志向とは違う流れに進もうとした。なぜなら、そうした「流儀」に従うことが自分がサバイブする上で大切だと思ったからだ。そして、少しずつ、その流れに乗った。
 けれども、どこかで無理があったのだろう。というよりも、「無理やり」にその枠に押し込めようとしたといったほうがよい。自分にはこれまでの流れというものがある。その流れを急に変えようとすると無理が来る。新たな場所で、新年度ということでがんばろうとしたその気負いがひとつの「けが」を生んだと思う。
 その結果として、停電する時間をもらった。そして、それを「言い訳」にすることができる。無理はいけない。そう、無理はよくないのだ。あくまでも、マイペースであることを無理に崩す必要はないのだ。
 無理に崩すから、態勢が整わず、「けが」が出てしまうのだ。自分のできること、まずはそこから始めることが大事なのだ。焦らず、ゆっくりと。焦ってはいけない。焦らず、自分自身を見失わないようにしなければいけない。燃やすことが大事で、燃え尽きることが目的ではないのだ。

[12読了22]
ヤマト王権〈シリーズ 日本古代史 2〉 (岩波新書)

ヤマト王権〈シリーズ 日本古代史 2〉 (岩波新書)

 『日本社会の歴史』を積読状態にして以来の、歴史学の本。『日本社会の歴史』では感じなかった歴史学の手触りといったものを感じることができた気がした。緻密な史料読解、解釈、考古学の知見を含めた比較検討、それによって手堅くひとつの「歴史」を紡いでいく。パズルやテトリスのように、ピースを合わせていき、ひとつの「図」を描いて見せる、そんな作業に感じた。そして、その作業によって導出されたのが「邪馬台国近畿説」である。
 

[12読了21]
雑巾がけ: 小沢一郎という試練 (新潮新書)

雑巾がけ: 小沢一郎という試練 (新潮新書)

 小沢氏無罪でインタビューを受けていた石川氏の事務所の壁に貼られていた著書のポスターをテレビで見て、興味を持って買った。これを読んだからといって、「師」としての小沢氏がわかるというわけではない。むしろ、小沢一郎という政治家の持つヴェールの厚さを感じざるを得ない。かといって、それは政治家としての評価にかかわるわけではない。ただ、「空気」を読むことが政治家小沢一郎につかえるうえで大事であったことが理解できた。