チャップリンとジャッキー

 朝早く起きて、飯田橋にあるギンレイホールに行った。チャップリンの映画を観るためだ。チャップリンは「独裁者」をDVDで借りてきて観たことがあるだけだ。
 サイレントの「キッド」と「犬の生活」を観た。おもしろかった。ドラマとしては、伏線もない。シンプルである。終わりも予想がつく。だが、おもしろいのだ。
 動きが巧みである。細かく動く。わざとらしくなく、とてもしなやかなのだ。やわらかな演技なのだ。観ていて、退屈しない。スクリーンに吸い込まれる。サイレントだから、セリフはない。あるのは、音楽と俳優。音楽は場面における情感を作り上げ、セリフがなくとも俳優は動くだけで、思いを観客へと届ける。
 笑ってしまう。思わず、笑ってしまうのだ。
 ドラマとしてシンプルである。しかしながら、それぞれのシーンでのチャップリンの道化ぶりが、映画を豊かにしている。細部にこそ、神は宿るというのは、チャップリンの映画のことだ思った。
 そして、チャップリンの映画を見ながら、子どもの時に、よく映画館に連れて行って観たジャッキー・チェンの映画を思い出した。
 ジャッキーの映画は、物語としては「勧善懲悪」そのものである。だが、おもしろい。繰り返し見ても、おもしろい。その理由が、チャップリンの映画を観ているうちにわかった。
 それは、ジャッキーのカンフーアクションが豊かであるがゆえなのだ。すなわち、ジャッキーのカンフーに魅せられるのだ。だから、物語が複雑でなくても、思わず繰り返し観てしまうのだ。
 ドラマティックな伏線や物語の社会性メッセージ性に目がいきがちだが、ドラマがシンプルでも、細部が豊かならば、魅せられるのだ。チャップリンの映画の中に、大人ぶって、背伸びをして映画を「硬い」姿勢で観ていた自分を見つけてしまった日曜日だった。

[h23読了66]

 逆システム学とは、それぞれのアクターがどのように絡み合い相互作用しながら、調節制御し、システムを作り上げているのかという点に着目し、そのインタラクションのメカニズムを実証的に明らかにしようとする方法論である。そして、そこから導き出される結論は、多様性の大切さだ。2004年の著作だが、昨今言われている組織における「ダイバーシティ」の重要さを、経済学と生物学の視点から唱えたものだといえる。