実を結ぶために

 今年のテーマは「実」であった。実を結ぶために、何をすべきか、1ヶ月考えた。結局のところ、「バック トゥ ザ ベーシック」ということだ。
 派手ではなく、目立つわけではなく、ただ粛々と凡事徹底していくだけだ。
 最近、仕事をしながら、そう思う。というより、今まで少なからず生きてきた時の流れを振り返る。
 少なくとも、自分はスターではなかった。カリスマでもなかった。しかし、リーダーシップを自然ととらざるを得ない立場になっていたことが多かった。常に、自分がなりたいとリーダーになるよりは、むしろ、推される形なることの多かったし、そのほうがうまくいった。
 自分には、残念ながら、カリスマ性は備わってはいない。しかしながら、「信頼される」「破綻するリスクが少なく無難」という点で、自然とリーダー的な立ち位置に立たされてきた。
 どういうわけか、僕を選んだ人たちは「まかせて大丈夫」と思うのだが、選出にかかわっていない外野的な立場の人からすると、「本当に大丈夫なのか」と心配され、危惧される。けれども、結果的には「お前でよかった」「ナイスリーダーシップ」といわれることのほうが多い。 
 じゃ、いったい自分はどうしたかっていうと、たしかに「我」を押し通そうとすることもあるんだけども、どっちかっていうと、敵をつくらないようにして、「どうする??」と相談しながら決めていく、ただそれだけ。そして、まかせられることは、どんどんまかせる。ただし、自分もかかわるようにする。けど、スキル的に無理そうな時は「おねがい」といって投げる。ただ、それだけだ。
 結局のところ、自分で言うのもなんだけど、「真面目さ」、これでけっこう救われている部分が大きいと思う。
 というわけで、自分が集団のリーダーを選ぶときには、スキルとか能力とかもあるんだけど、「ある程度いい加減な部分もあるけど、基本真面目にやれる」「敵をつくらずいろんな人とかかわれそう」とか、そんな感じだ、という結論に至る。
 つまり、自分がいままで属してきた集団が実を結ぶためになすべきことは、とりあえず「真面目に」、「敵を作らず」にやることだった。
 じゃ、自分についていうなら、それは「基本」的なもの、「原理」的なもの、「体系」だったものが好きだということだ。どちらかというと、自分はパフォーマティブに思われるが、どちらかというと、自分はどっしり、じっくり型なのだ。実践・行動派よりは、超がつくほどの慎重派であり、理論派なのだ。言い換えると、これでもかというほど、基礎的なことを考え、学ぶことが好きであり、実用的なものがあまりなじまないのだ。なんせ、現代文の1題を3時間近くかけて、考え、答えるような人間なのだ。
 しかし、それが結果的には実を結んできたし、結果的に、大幅なブレイクスルーはないものの、ある程度の基礎力があるゆえ、なんとかいろんなところでもやってこれた。
 つまるところ、いきなりブレイクを目指すのではなく、一歩一歩、粛々と積み上げていき、結果的に、実力が認められる、それが、自分にとってブレイクの原則なんだ。

[11 読了11]
凡事徹底 (活学叢書)

凡事徹底 (活学叢書)

自分が好きな言葉の一つ「凡事徹底」。どこで知ったかというと、学生時代のバイトの研修マニュアルだ。何が幸いするか分からない、というか、学びはどこにでもチャンスがあると思う。凡人の自分が、思う結果を残すためにはやっぱ「凡事徹底」だよなとつとに思う。

[11 読了10]
日本人へ リーダー篇 (文春新書)

日本人へ リーダー篇 (文春新書)

この手の本だと、結構30分近くあればさくっと読めるんだけど、読めないところが、この著者の力。読むと、ローマって、社会・人間認識を深める宝庫なのかもと思う。

[11 読了9]

知り合いの方が話されていたので、気になって読んだ。自分はピッタ体質だな、きっと。

[11 読了8]
定常型社会―新しい「豊かさ」の構想 (岩波新書)

定常型社会―新しい「豊かさ」の構想 (岩波新書)

見田宗介社会学通奏低音として流れる社会保障論。最近、注目している研究者の一人。