時間が最善の解決法

 ある問題が起きた時、どうすればよいのだろうと途方に暮れる。いったい、どのように解決を図ればよいだろうかと思案を巡らす。そして、事態がますます悪くなったりすると、めいってしまう。明日を憂鬱に迎えてしまう。
 けれども、時間が経つと、いくつか好転する時もある。もちろん、さらに悪化の一途をたどる時もある。ただ、いえるのはその時最善だと思う「最善手」を打ち続けることだ。何もしないこともひとつの方法だが、大事なのは、その時に最善だと思えるように動いてみることだ。
 その問題が難しいと、距離を置きたくなってしまう。そして、面倒になってしまう。
 でも、そうすると、結局のところ、解決も遅くなり、それがストレスとなり、なんとなく、気持ちが滅入ってしまう。
 まずは、最善とおもう手を打つこと、そして、時間が経つこと。物事は、まったく動かないときもあるかもしれないが、たいていは何かしらの変化がある。時間が解決してくれるのだ。そして、その時間をどう動かすのか、どういった経過をたどっていくのは、自分の手にある。
 時間は流れる。けれども、その流れ方は私にかかっている。だれにも平等にあると思われる時間。けれども、その流れは私の手にある。客観という時間が主観というわたしによりかかっている。その結果として、時が解決してくれることもあれば、解決してくれないこともある。わかっているのは、最善と思う手を打つことだ。