交差させることと交差すること

 休日返上で仕事があった。外部の方といっしょにする仕事で、その部署のチーフ的な役回りを任された。というより、人があまりにも少なかったため、やらざるをえなかった。
 自分も、そのイベントにスタッフとしてかかわることはなかったので、初めてであった。しかしながら、自分でいうのもなんだが、ちょいちょいトラブルはあったものの、イベント進行に多大な影響を与えるような、決定的なトラブルはなかったので、結構うまく回せたと思う。
 そこで思ったことは、人を交差させることによる「仕事の緊張度・新鮮度を保つ」ということだ。
 今回、いくつかバイトの人たちにも手伝ってもらった。その中で、団体で申し込んだ人も多かったということもあって、必然的に自分のところも、団体単位での仕事で、割り振っていった。
 そのときは、わざわざ集まりができているから、そのままの集団でやってもらおうかなと思ったのだが、イベントが終わって思うのは、ごちゃまぜにすればよかったということだ。
 ある程度、モチベーションが高い集団ならば、とりたてて気を使うこともない。だが、これがあまりモチベーションのない、やらされている感丸出しの人たちが多い場合は、結構気を使う。
 たとえば、慣れてくると、なんか「だべって」いる時間も多いし、ちょっとゆるみすぎじゃないといった態度も見られ始める。といっても、全体的に見て、言われたことはしっかりやってくれたし、そんな不満てほどの不満というわけではないんだけども、もっと気持ちよく集団として仕事ができたら、「やらされてる」感丸出しで、仕事をしてもらうこともなかったと思うのだ。 
 そのためには、やはり団体単位を一度、ばらして組み直しすればよかったと思う。
 たしかに、団体単位だと、最初はなれた集団だから、まとまる。しかし、結局は日常の延長線上になってしまうので、空気が緩みがちになってしまうのだ。
 だからこそ、日常では交わらない人たちと交わらせることによって、「仕事」モードになってもらう必要があると感じた。初めての人ならば、ある程度気を遣わなくてはならない。それと同時に、仕事を通じてわからないことがでてくるはずだから、それを聞くためにコミュニケーションの必要も出てくる。そこから、何気ない会話が生まれる。知らない人たちが親しくなると、集団の空気も変わってくる。そうすると、質もかわる。
 チーフとして、やはりあえて「交差させ」、彼ら・彼女らが「交差する」ことを意図的にすればよかったと思った。