立ち食い蕎麦屋で思う

 朝、天たまそばとおにぎりを食べながら、キャリアについて思いを馳せた。きっかけは、元同僚のキャリアアップだ。自分は、そうした道を歩もうと思ったら、歩めたんだろうなと思う。これは、負け惜しみでもなく、単純にそう思うのだ。

 そのためのチャンスもあった。けれども、しんどいなと思って、断ってきた。いまの自分は、30代におけるさまざまな決断、選択の積み重ねなのだ。

 40代のキャリアとは、30代で様々な選択によって伸びた道だ。戻ることのできな分岐点を経て、今の立場に至るのだ。望もうと思えば、いつでもできるという年代ではもうない。傲慢に構えることは許されない。やろうと思ったら、手をつけていかないと遠ざかっていく。

 人生とは、不思議だ。小さな選択が、実は後々に後戻りできない道を作っていくのだ。

 

意思をもって生活したいものだ

 寝る、瞑想する、腹筋する。自然ではなく、意思をもつことだ必要だ。それを最近すごく感じる。特に睡眠は、意識して寝ることが最近ない。その結果、心身が不調だ。睡眠の不安定さが気持ちが不安定となる。その結果、人との関係も不安定になる。それが自分のストレスになる。ストレスが悪循環をもたらしていく。

 5月病といったらそれまでかもしれない。GWは自分の思いで過ごした。けれども、その反動が大きかった。

 自分をなかなか解放できない。抑圧するばかりで、どんどん気持ちの疲れが溜まっていく。それが行動と姿勢に出ている。

 自分らしくというのは、難しい。それは歳を重ねれば、重ねるほど難しく感じる。というより、難しくしているのは自分自身なのかもしれない。自分の性格として、見えない鎖を自分でつくって自分を縛ってしまう傾向が強い。

 自己肯定と解放は難しい。自分がわからなくなっている。とにかく意思をもって生活することだ。

「今ここ」の難しさ

 瞑想をしても、色々と気になってしまう。これをやろうと思っても、他のところに気が入ってしまう。本当に「いまここ」というのは難しいものだ。

 「今ここ」を本当に楽しいと思っていれば、十分に世界を味わうことができる。しかし、今の自分は、本当の気持ちを押し隠したまま行動することが多い。結局、自由を感じられるのは、ヒトリの時間だ。かといって、孤独過ぎたら、気持ちが滅入ってしまう。適度な孤独、このバランスが難しい。

 「今・ここ」にいる自分ができることはコツコツと小さな習慣を続けていくことだ。まずは自分で変化を起こせることを少しずつ続けていく。でも、少しずつだからこそ、大きな変化を感じられない。ゆえに、モチベーションを維持するのは難しい。ただ、続けていると大きな力になっていく。小さな習慣をコツコツと「今ここでやり切る」と集中して取り組んでいくことが、自分を変える。そう信じて、新たなチャレンジする。

自分を掘ること 

 自分にとって最も幸せな時間は何だろうか。

 それは、個室で、音楽を聴きながら、コーヒーを飲み、本や雑誌を読み、あれこれ考え、アイデアを膨らませながら、それを文章なり企画書なり、何らかの形にしてまとめることだ。今思うと、浪人生の時に図書館で一人受験勉強をしたり、学生の頃に図書館にこもって、あれこれ考える時間が好きだった。

 孤独になれる時間とは贅沢だ。仕事をし始め、家族を持ち始めると、孤独になる時間がなくなる。それによってもたらされる幸せもたくさんある。でも、やっぱり、自分にとっていちばんの贅沢は、孤独にあれこれ考えを膨らませることなんだ。

 読書をし、美術館、劇場、映画館に足を運び、作品を見る。刺激を受ける。そうして、自分を掘り下げていく。この時間が何よりも至福の時だ。つながりを求めて放浪するよりも、自身を掘り下げる。この豊かな時間を持つことが今の自分を回復させてくれる何よりの手段な気がする。

シンプルに考える

 あれこれ複雑に考える。準備段階では、試行錯誤を重ねた。けれど、実際出来上がってきたものは、意外にシンプルであった。シンプルであったからこそ、ねらいに向かってストレートに進むことができた。

 それができたのも、割り切れたからだ。そして、自分なりの理屈が出来上がっていたからだ。遠回りかもしれないけれども、必要なプロセスを経て、作り上げたからこそ、わかりやすく機能したのだと思う。

 これまでの方法論が変容している。今まではネタを盛り込むことを考えてばかりいた。けれども、いかに削ぎ落としていくかが、自分のデザインの根本にある。ネタに走って表面的な盛り上がりを目指すのではなく、シンプルに機能させることを追求していくことを原点に置くようになった。

 10年近く試行錯誤してきたことから、次のステップに移ってきてることを実感する。その変容が次の10年を作っていく気がするのだ。

まいっか

 まいっかと思うだけで、随分気が楽になる。できていないと自分を責めるよりも、まぁそこそこやったしと自己満足で終える方がが良い。充足感の積み重ねが自分を楽にしてくれる。

 楽に生きるって、そんなに悪くはない。もちろん、それは同時に、いろんなことを諦めるってわけだけど、それはそれで最近いい気がしてきた。

 今まで与えられた環境の中で、自分のベストを尽くしてきた。気を張って、それなりに成果を出した。よくやってきたと自分でも思う。

 けれども、正直、心身ともにしんどくなってきた。もう一踏ん張りが効かなくなってきた。イライラしたり、落ち込むこともあった。

 でも、それでいい気がした。自分は、自分なんだ。何かに囚われてストレスを溜めるよりも、ほどほどに、気ままに自分のやりたいようにやる方が自分にとって心地よい。心が動かされるものだけをできるだけ引き受けるようにしよう。そして、要らないものを捨てていこう。

2023年は「well-being」

 これまで漢字1字を1年のテーマにしてきたことを変える。チャレンジよりチェンジだ。そのためにこれまでの習慣を思い切って変える。

 2023年のスローガンは

 

 well-being

 

 昨年末に自分の中にじわじわと染み込んできたキーワードだ。健康的、精神的、社会的に満足な状態を目指していくための考え方だ。

 それを自分なりに解釈して、こころもカラダも程々に「良好な」1年にする。満たされた状態を目指すと、完璧主義に陥る。それによって、結局、イライラしてしまう。満たされなさに不満を覚え、結局bad-beingになってしまう。だからこそ、敢えて程々に「良好な」状態を目指す。

 10割ではなく、6割でいいじゃない。そんな感じで自分自身を「よい状態」で保って生きたい。2023年は「well-being」な状態になるために、6割主義でいこうよ。6割達成できたら、より良い自分なのさ。