まいっか

 まいっかと思うだけで、随分気が楽になる。できていないと自分を責めるよりも、まぁそこそこやったしと自己満足で終える方がが良い。充足感の積み重ねが自分を楽にしてくれる。

 楽に生きるって、そんなに悪くはない。もちろん、それは同時に、いろんなことを諦めるってわけだけど、それはそれで最近いい気がしてきた。

 今まで与えられた環境の中で、自分のベストを尽くしてきた。気を張って、それなりに成果を出した。よくやってきたと自分でも思う。

 けれども、正直、心身ともにしんどくなってきた。もう一踏ん張りが効かなくなってきた。イライラしたり、落ち込むこともあった。

 でも、それでいい気がした。自分は、自分なんだ。何かに囚われてストレスを溜めるよりも、ほどほどに、気ままに自分のやりたいようにやる方が自分にとって心地よい。心が動かされるものだけをできるだけ引き受けるようにしよう。そして、要らないものを捨てていこう。

2023年は「well-being」

 これまで漢字1字を1年のテーマにしてきたことを変える。チャレンジよりチェンジだ。そのためにこれまでの習慣を思い切って変える。

 2023年のスローガンは

 

 well-being

 

 昨年末に自分の中にじわじわと染み込んできたキーワードだ。健康的、精神的、社会的に満足な状態を目指していくための考え方だ。

 それを自分なりに解釈して、こころもカラダも程々に「良好な」1年にする。満たされた状態を目指すと、完璧主義に陥る。それによって、結局、イライラしてしまう。満たされなさに不満を覚え、結局bad-beingになってしまう。だからこそ、敢えて程々に「良好な」状態を目指す。

 10割ではなく、6割でいいじゃない。そんな感じで自分自身を「よい状態」で保って生きたい。2023年は「well-being」な状態になるために、6割主義でいこうよ。6割達成できたら、より良い自分なのさ。

師走

 師走の中で一年を振り返る。今年の一字は「体」だった。何かを体現するとともに、体に目を向ける1年にしたいからだった。

 しかし、体調を崩すことが多かった。人生の一つの転機が訪れた。自分はどう生きたいのかを考えさせられた。何をしたいのか、何を望んでいるのか、そんなことを問いかけながら、心身ともに目一杯だった。

 今までだったら無理がきいた。けれども、もう無理がきかなくなってきた。踏ん張りがきかない。それは年齢のせいかもしれないし、そうでないかもしれない。

 いずれにせよ、今までの自分ではないというのは確実に言える。もはや、無理はいけない。シンプルに自分がなすべきことで精一杯だ。

 年齢を重ねる中で、自分でできること、やれそうなことが見えてくる。惑うことが多い。でも、その惑いこそがこの1年の成果なのかと気づく。迷いながら、自分が力を注ぎたいことに目を向ける。自分の人生の地平が見えてきた1年だった。

チャレンジ

 新たなチャレンジをする。デザインしている時は、ワクワクする。しかし、それを実際に行うと、いろんな不安が大きくなる。それは、今までの自分のやり方とは違うからこそ生まれる不安だろう。

 自分のやり方は賞味期限が切れ始めている。それはよくわかっている。だからこそ、モデルチェンジをしていかなくてはならない。部分変更することもできる。けれども、根本にある設計思想を変えていかないと、大きく変わらない。

 何事も始めるには労力がいる。見えないからこそ、何が必要かも分からない。やってみることによって、見えることがある。その見えてきたことが成果だ。まずは、その勇気を持って変えた自分を褒めよう。やってみなければ、分からないことはたくさんある。その中で修正していくことが大事なのだ。

 チャレンジし、不安な状況を改善しようと足掻くこと。その足掻きから見えてくるものが自分にとっては財産なのだ。

歳をとること

 歳をとるこ、キャリアう現実
 
 を重ねればは違ったきないれないことれる
 

 を意識する。消費ではなく、わい、考える人間でいたい。なものを大切にし、人としての味わい をもつ。ただ数を重ねるのではなく、味わいを価値にしたい。

腹八分の理由

 暴飲暴食と呼ばれる生活をして気づいた。ストレスがあるときは、好きなものを食べたり、飲みたい酒をたらふく飲みたいことを求め、毎晩飲み歩く。

 ふと気づくのだ、酒や食べ物を消費していると。

 味わうのではなく、ただただ流し込む。食べるというよりは、モノを流し込むという快楽に浸っている。飲み過ぎて、食べすぎると感覚が麻痺する。美味しいという境界線をこえ、それを単なる消費するだけとなってしまう。

 なんだか、虚しい。食べること、飲むことは欲望を満たす行為ではあるが、それが際限なく虚しい行為になってしまう。美味しいものなはずなのに、ただ目の前のもの平らげるだけの対象となってしまう。つまり、流し込めればなんでも良くなってしまうのだ。

 腹八分とはよく言ったものだ。それは、健康だけではなく、程よく味わうための線引きなのである。

探求の夏

 自分は何をしたいのか、何を目指すのか、そんなことを考える。難しくない。シンプルだ。

 大したことのない自分を受け入れる。けれども、大したことができない自分を受け入れることもできない。難しい性格だ。シンプルに何をしたいのか、という問いを考えればいい。

 シンプルだけど、難しい。What do you want? この問いについて考えを巡らせる夏にしたい。色々考えのではなく、立ち戻るべきは、What do you want?だ。

 自分のwantが見えないから、こんがらがってしまっている。wantという欲望から始めることだ。自分の欲望の自覚こそが、わたしの始まりだ。そこを掘り下げていくことが次につながる。

 コツコツと自分を掘っていく。地味だけど、それが力強く生きるコツな気がする。改めて、What do you want?