決断の時

 もう戻ることのできない道だ。だったら、という仮定法で語るには進みすぎた。ならば、前を見ることだ。前を見て、これからの人生を考える。いったい、何が自分にとって幸福だろうかと、立ち止まってみる。

 あれこれ考える時ではなくなってきた。そろそろ、自分が歩む道について腹をくくる時がきた。あとは、どう考えるかを明晰に語れるようにすることだ。ただ思うだけではなく、「なぜ」なのかを言語化しなければ伝わらない。

 思いを言語にしていく。そのためには、どうしたいのかという「構想」が必要となる。「構想」を語るには、なぜその「構想」なのかという「根拠」が問われる。その根拠が自分の思いと裏付けとなる情報だ。

 行き着くところは、どう生きたいのかという根っこだ。それが曖昧だから、腹をくくることができないし、なんとなく生きてきたのだ。なんとなくではなく、よく考えることが求められている。それが今なんだ。