プレイヤーであること

 自分はマネジャーでも、研究者でもない。プレイヤーなのだ。プレイヤーでいることを忘れると、大事なことが抜け落ちていく。目の前の相手を忘れてしまう。自己満足に終わる。自分の内側の世界で完結してしまう。

 研究者であろうと勘違いすると、大きく踏み外す。あくまでも、自分はプレイヤーなのだ。汗をかき、知恵を絞り、機能させていくことが目的なのだ。底にあるのはプラグマティズムなのだ。

 方法原理としてのプラグマティズム。自分の根っこにあるのは、それなのだ。現実世界をよりよく改善させていくことである。一気に変革するのではなく、漸進的に歩みを進めることである。

 考えて、考えて、走る。自分の強みは運動量である。思考も行動も、運動量で勝負する。歩みを止めずに、運動し続けること。そのためには、運動するための肉体と頭脳であるように鍛え続けなければならないのだ。プレイヤーであるために、私は運動する肉体でいたい。