観念から運動へ

 時代が変わった。時代はわたしと無関係に変わるが、じしんを考え直す契機となる。

 平成は、青春だった。したいという願望とねばならぬという観念のときだった。わたしが自身のロマンを描いたときだった。

 現実はわたしが描いた通りにいかない。描いていたわたしとは違うわたしがいまここにいる。それに失望しているわけではない。むしろ、現実という偶然との格闘の延長線上にいまのわたしがいる。

 時代が変わった。平成が、わたしにとって願望と、観念と、青春のときであった。わたしは令和を「運動」のときにする。

  運動する。

 それがわたしのいまの心持ちである。頭でっかちを抜け出し、身体を出発にして現実を動かしていく。

 身体によってわたしを突き動かしていく。ロマンティックなわたしからリアリスティックなわたしへの変貌。

 わたしは運動によって、リアリストとして、令和という時代を生きていく。それが令和のわたしのマニフェストだ。