わたしのからだ

 わたしは習慣でつくられている。からだが重いのは、生活が重くなるようになっているから。

 夜遅くまで仕事をして、腹いっぱい食べて、風呂も入らず寝る。起きてもぐずぐずして、朝になったらなったで、腹いっぱい食べる。昼もいっぱい食べる。おやつもたんまり食べる。動かない。そしたら、からだは重くなるいっぽうだ。

 いまのわたしのからだはこれまでの生き方の集積だ。その人の生き方がでる。わたしは首から上の頭でっかちで生きていた。むしろ、頭でっかちでいいと思っていた。

 けれども、ひとは頭でっかちでは生きていない。こころがあるし、からだが健康でなければ、ふつうに生きていかない。疲れると、日々がいっぱいいっぱいになってくる。目を向けなくなる。わたしのからだはその人の生活そのものの表現である。

 生活者であることを大切にするのなら、いまの生活を見つめなければいけない。生活を見つめたいのなら、からだを見つめることだ。