自然体とほめ

 なんとなく勝とう、勝とうという気持ちがはやるばかりで、自分を見失っていた気がする。「他人を超えることはできない。超えることができるのは、自分だけだ」と、そんなことばを、いまこうして書きながら、思い出した。
 自分は自然体ということばがすきだ。楽しむということも好きだ。自然体で楽しむということ、これに勝ることはない。
 だが、どうも型にはめよう、はめようとするばかり、どうも肩に力が入りすぎていたようだ。一体自分は何を畏れていたのだろうか。
 他者のまなざし。それをあまりにも意識するばかりで、自分を押し込めている感覚に襲われた。そこにいるのは、窮屈な自分だった。卑屈な自分だった。
 しかし、可能な限り、自然体でいたい。身体をこわばらせず、ゆるりと、やわらかく、というよりもしなやかに。自分に必要なのは、しなやかさ。あるいは、軽やかさ。
 角が立たないようにしていたつもりが、実は角が立っていたのは自分だったのかもしれない。
 
 今日、自分では予想もしなかったが、畏れ多くて近寄りがたい上司にほめられた。正直驚いた。自分でも意外だった。ほめというのは、こんなにも薬になるものなんだ。果たして、自分はその薬を他人に配っているだろうか。自分がもらうことばかりを考えているのではないだろうか。
 そして、昨日は、自分はこうしたいな、でもどうコントロールしていけばよいのか悩んでいた問題に関して、ふとした助け舟が出た。すごくありがたかった。
 見ている人は見ている。素直な努力は裏切らない。そのことを胸に刻んだ、週始めだった。