ふと歩きながら、考えたこと。

 とは、一体なんだろう。こころとこころが通じるっていったいどんなことなんだろう。例えば、こころとこころが通じ合うというのは、ホントどういうことなのかっておもう。

 「わたしたち、心と心が通じ合っているよね」というとき、いったいなにをもって、こころとこころが通じ合うというのだろうか。

 言い換えれば、わかりあう、っていうときは、いったいなにを意味するのか。

 それは、例えば、話していての「うなずき」であったり、返事のトーンであったり、結局、それは、何かの行為として現れているとしかいえないんじゃないかなとおもう。

 お前、ほんとうに「わかっていないな」というときは、どういうときかといえば、それは、その場にそぐわない発言をしたり、行動をしたりするときに、いわれるからだ。

 つまり、なにか名札をぶらさげて「わかってます」というよりは、むしろ、なんらかの行いやふるまいによって、わたしたちは「わかっている」ということを判断するんじゃないかな。

 だから、「反省」ということばをかんがえてみても、それはけっきょく、後々の行動の結果から見て、「反省している/していない」ということが、いえるのであって、今、「それは反省していない」なんて、短絡的にきめつけても仕方がない。

 とりあえず、まったく反省していないなんて、決めつけず、長い目で判断してみようよ、とおもう。