【ノート】権利の上にねむる者

 

 権利の上に長くねむっている者は民法の保護に値しないという趣旨も含まれている、というお話だったのです。この説明に私はなるほどと思うと同時に「権利の上にねむる者」という言葉が妙に強く印象に残りました。いま、考えてみると、請求する行為によって時効を中断しない限り、たんに自分は債権者であるという位置に安住していると、ついには債権を喪失するというロジックのなかには、一民法の法理にとどまらないきわめて重大な意味が潜んでいるように思われるます。
 たとえば、日本国憲法の第十二条を開いてみましょう。そこには「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」と記されてあります。この規定は基本的人権が「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であるという憲法九十七条の宣言と対応しておりまして、自由獲得の歴史的プロセスを、いわば将来に向かって投射したものだといえるのですが、そこにはそこにさきほどの「時効」について見たものと、いちじるしく共通する精神を読みとることは、それほど無理でも困難でもないでしょう。つまり、この憲法の規定を若干読みかえてみますと、「国民はいまや主権者となった、しかし主権者であることに安住して、その権利を怠っていると、ある朝目ざめてみると、もはや主権者でなくなっているといった事態が怒るぞ」という警告になっているわけなのです。*1

 そういえば、学校教育という形の公教育ってたかだか数百年のものなんだよね。。。

*1:丸山真男「であることとすること」『日本の思想』p154-155