反照的均衡

 最近、ロールズの『正義論』の改訂翻訳が出た。学生時代、訳者の川本氏の著作でお茶を濁していた自分にとっては、結構なニュースだ。もしかして、NHKの白熱教室はこれを先読みして・・・・なんて。
 というわけで、ちょっと最近、学生時代に読んだ『現代倫理学の冒険』をちらっと読み返した。そこで、そのときは気にならなかった「反照的均衡」というタームがひっかかった。
 というのも、反照的均衡の原語はreflective equilibriumなのである。そして、その意味について、川本氏は次のように述べる。

 ロールズの方法論は、論理と経験のフィードバックを通じて道徳原理の正当化を図る「反照的均衡」と呼ばれている。その核心は、二原理を原初的状態での熟慮・討議という筋道で、演繹的に導出し、かつその原理が正義に関して広く共有された「しっかりとした道徳的判断」と合致することを帰納的に示すという、二重の正当化にあり*1

 ポイントは、論理と経験のフィードバックを通じだ原理の正当化という点にある。そして、その原理の正当化の方法を「反照的均衡」という。こう煎じ詰めて述べると、「反照的均衡」というタームは理解しやすいように思える。
 しかしながら、自分は別に倫理学者でもなければ、ロールズの専門家でもない。では、なぜこのタームをとりあげるのかというと、それは、自分が再読したことによるひっかかりである。すなわち、なにゆえ自分はひっかかったかということである。
 その理由は主にふたつである。
 ひとつは、論理と経験のフィードバックという点である。一般的に、規範理論である正義論は、あくまでも論理のみに重点が置かれそうである。だが、それを経験という足場をもつことによって、現実味を帯びた規範理論として、現実的な思考実験として、そして、それは市井の人々の感覚に届きそうな感度のもとで、述べようとした理論の積み上げ方ということである。
 もうひとつは、反照がreflectiveということである。反照と訳される語がリフレクティブ、すなわち内省的・省察的であるということばである。近年、教育学や経営学において、リフレクティブ・リフレクションという語がインパクトを持っている。そして、省察的・反省的・内省的均衡という点においてreflective equlibriumを捉えるならば、より広がりのある越境的な、実践的かつ規範的な正義論へとなるのだと感じた。
 ふたつのことをまとめると、理論(論理)と実践(経験)によって、あるひとつの実践に向けた原理を修正的、改訂的に練り上げ、鍛え上げていくことこそ、「反照的均衡」という理論構築の方法なのだと思った。そして、それはとりもなおさず、学生時代に、理論的なもの、思想的なもの、理屈好きの自分が社会人となって、汗まみれになっているがゆえのひっかかりなのだと思った。

*1:川本隆史(1995)『現代倫理学の冒険』p.29