ゆっくりと急げ。

 というのは、以前、自分が通っていた予備校の講師がいっていたことばである。

 なんで、こんなことばを急にだすかというと、そのことばが、いまこれからの態度としては、すごく重要に思えてきたからだ。というのも、自分が、やるべき物事に向かう態度というのは、二つの特徴があると思う。

 一つは、「それ」だけしか見なくなってしまい、視野がどんどんと狭まってしまうこと。もうひとつは、結局狭まっていることで、自分を追い込むが、結果として、その追い込み方の反動で、無為の日々を過ごしてしまい、何もしなくなってしまうこと。

 そこにあるのは、けっきょくのところ、「追い詰めるけど、追い詰めていない」というその中途半端さなんだと思う。

 最近、体調が悪く、寝込んでいて、いろいろと考えていた。

 病気の良いところは何かと言ったら、強制的に、それまでの日常的な流れを遮断することだと思う。例えば、旅行とか、遊びに出るとかでもよいのだけれども、それはあくまでも、日常のやるべきことの、その反対側に位置している、つまりはやるべきこととのコインの裏表のような関係だから、どうしたって、日常の流れを完全に断ち切るということにはいたらない。

 しかし、病気はちがう。

 病気は、いきなり日常の流れをばっさりと遮断して、安静にすることを、否応なく自分にもとめてくる。そういう意味では、病気は、自分にとっては、有効なリセットボタンになったかもしれない。

 寝ながら、あれこれ考えた。それまで、「やらなきゃ、やらなきゃ」と自分をせかし、その一方で十分すぎるほどに甘えさせてきた自分のことを。

 結局、煎じ詰めて出てきた答え、それがゆっくりと急ぐこと、このことだと思う。