【14−13】報われなさと向き合うこと

 どうも報われないなと思う。対費用効果という面でいったら、ホントやっていることが評価につながらないなと感じる。このやるせなとどう向き合えばよいのだろうかと悩み、何かをやるにしても逡巡してしまい、結局行動につながっていかない。
 仲間内での評価が、外部の評価につながっていかない。きっと、つなぎ役・サポート役という印象がつきすぎているあまり、力量がないと見なされてしまうのだと思う。
 たしかに、ある同僚に「ちゃんとした仕事をしているのに、それを表に出さないよね」と言われた。事実である。でも、やるべきことをやって、それを「私やってます」といちいちプレゼンテーションするのもどうかと思う。だって、評価なんて見ている人がすべきものであって、それを「私はこれやった、あれやった」という「評価してほしい」言動をとった結果だとしても、それって本当に自分の評価なのかなと思う。それはまやかしのような気がしてならない。政治がへたといわれれば、それまでだけれども、結局、自分がコミットしている人たちの中で「やっているな」と思われる評価が本当の評価な気がする。
 そこを目指さないと、見せるだけのうわべだけの力量だけついて、変なごまかしがうまくなりそうな気がする。言い換えれば、見る人がみればわかる、いつメッキがはがされてもおかしくないそんな状態に陥ってしまう。結局、メッキがはがれる不安と付き合わなければいけない。
 でも、やっぱりたまには外部からほめられたいというのも心情だ。人間そんなに強くないのだ。それを煩悩といってしまえば終わりだけども、まだまだ自分はそうした評価されたいという欲を捨てきれずにいる。分かる人だけ分かってくれればよいという感情とどうして報われないのだ、不遇なのだという感情と付き合う日々である。
 まだまだ無心になれない。けれども、こうした「不遇」という感情をもっているときに、ふとした幸運が巡ってくるのも経験則としてある。結局のところ、そうした「報われない感」「不遇感」と正対するしかないのだ。そうした「状況」と真摯に向き合い、最善手を打ち続けることでしか、道は切り開かれない。そして、それは参謀や黒子役にひかれてしまう自分の生き方なんだと思う。
 だから、評価ではなく、チームの中で自身の最善を尽くし、ごまかさないことが大切である。結局それが、本当の<政治力>すなわち、<人を動かす力>につながる気がするのだ。そして、どんな状況でも最善を尽くそうという姿勢が放つ誠実さや公平さが、自分の武器であり、それが今まで自分が評価されてきたところなのだから。