内なる声

 内なる声に耳を傾けることは意外に難しい。なんとなく刺激に対してすぐに飛びついてしまう。

 本当にしたいことなのか、食べたいのか、飲みたいのか、惰性で流されてしまう。確かに直感で動くことで、好転することもあるだろう。

 最近、まず自分に問いかけることの大切さを感じている。自身を更新していきたいと思うのならば、どう更新したいのか、その方向性は自分の心の羅針盤で決めていかなければならない。

 先週、一人飲みで感じた。ラーメンを食べたけど、なんか満たされなかった。お腹は満たされた。けれども、こころは満たされない。バーで三杯じっくり飲んだ。1時間、贅沢な時間を過ごした。なんだか、ゆっくりじっくりした時間で自分が満たされた。「ねばならぬ」で速度を求めれば、求めるほど、自分が見失われていく。

 「ねばならない」思考ではなく、自分とじっくりと向き合い、自分のこころをコツコツと掘り下げたい。

マインドフルネスがキーワード

 なんとなくで、たくさんのものを背負い込んでしまう。それによって、緩むときに緩ませることもできず、かといって、物事を進めることもできず、ダラダラと時間を過ごしてしまう。

 そうしたメリハリのなさ、思い切りのなさには見通しの甘さがある。いまやるべきは何か、集中すべきは何か、その見極めが下手クソなのだ。

 それによって、ぐずぐず悩んでいる。ダラダラ過ごして失った時間を後悔している。さらに、その後悔を引きずってしまう。改めて、いまここに集中できない、マインドフルネスな状態になることの難しさを感じている。

 セルフリノベーションの鍵はマインドフルネスである。いま、ここで何をすべきかを見極め、割り切って、集中することだ。思い切りと集中の欠如が自己否定の感情を生んでいる。

 今年も四半期が過ぎた。次の4〜6のキーワードは、見極めと割り切りによるマインドフルネスである。

 

成長への第一歩!フェイスする勇気

 2ヶ月が経った。セルフリノベーションには、「FACE」が不可欠だ。

 価値を高めるための修復、再構築には、自身の弱みと強みの見極めが鍵となる。ダメさを曝け出し、向き合わなければならない。やり切れていないところを曝け出すのは、嫌な作業だ。しかし、そこをめんどくさがって、先延ばしにしてきたところに、今の伸び悩みがある。

 健康面、経済面、能力面、それらをアップデートしていくためには、フェイスする必要がある。誰かに、依存し、頼って、整えるのではなく、自分で自分を整えられるようになっていくこと、いわば「自己調整」の能力が今の自分には不可欠だ。丁寧に、自分を診て、整える。

 そのためには、どこで不具合を起こしているのか、そして、それを整えるためにはどのようは方策が必要なのかを見極めるスキルと知識が不可欠になる。それらをちょっとずつ習得し、行動に移すことがセルフリノーベーションにつながっていく。

2024年は「self-renovation」

 2024年は「self-renovation」。自身で、修復、刷新をしながら、価値を高める。

 全てをゼロベースからではなく、自身を自分で整える。権威に倚りかからない。この本を読めばいいだろうとか、整体に通えばいいだろうとか、今まで、結局外部に価値基準を求めてばかりだった。

 でも、本当にそれでいいのか。

 革新的なことをしたい。知識を吸収したい。けれども、大切なのは自身で自分を整えていくこと。これは、見方や考え方、知識そしてカラダもだ。積み重ねてきたものを無かったものにするのではなく、自身の経験や蓄積を問い直しながら、自分で自分の道を整えていく。その足がかりとしての2024年。

 これまで何かにすがろうとし、誰かに倚りかかって生きようとしていた。それでは、自分が疲れてしまう。誰かに整えてもらうのではない。できるだけ自分で磨き、整えていく。それが「self-renovation」だ。

「ウェルビーイング」を見つめて

 今年初めに個人ブースに閉じこもり、ノートを書きながら自分との対話を続けた。今年のテーマを模索した。そして、自分にとっての「幸せ」を探求しようと決めた。

 振り返ると、自分が「充実する時間」をぼんやりとだが、見出せた。それは、できるだけ外に翼を広げて、興味あるものを見聞きするようにした結果からだと思う。もちろん、インプット、特に読書量が少なかったという課題はある。けれども、自分なりの「時間の活かし方」が見えてきたと思う。

 結局、自分が「ウェルビーイング」な状態にあるのは、「自分の世界を自らの手でつくっていく時間」だと感じる。読書する、文章を書く、音楽を聞く、絵を見る、それらは全て世界に対する「自分の見方や考え方」を豊かにし、いろんな気づきを得られる。それによって、確かな自分の世界を築いているという実感こそが自分にとっての「well-being」なんだと思う。

 

ウェルビーイングって何だろう

 師走を迎えた。2023年もあと1ヶ月ない。ウェルビーイングという言葉が、まだ自分の言葉になっていない。ウェルビーイングって聞くけど、それが何かがまだいまいち掴めない。

 でも、その手がかりはつかんでいる。自分のからだと向き合うことだ。こうありたいと願っても、からだが調子良くなければ、ねがいやおもいは実現しない。意識は自分のからだの状態に左右される。からだは自分のものであるはずなのに、思ったようにはなかなかならない。

 からだの状態をよい状態に保つことがウェルビーイングへの近道ではないだろうか。朝起きて、よく寝たな、からだが軽いなと感じるか、重いな、疲れが残っているなと感じるのとでは、こころの状態が違う。からだがついていかないと、こころも疲弊する。

 疲労困憊になる前に、無理してやり切るのではなく、メンテナンスをしていくことがウェルビーイングにつながっていくのではないだろうか。

走り続けられるかだ

 ハードルを上げて、結局、目標を達成できないことを幾つになっても繰り返す。無理はいけない。できる無理もあれば、できない無理もある。その違いは、調子が悪くても走る続けることができるか。

 最初は、気持ちに勢いがある。けれども、人間だから、なかなか続かない。自分の意思ではどうにもならないことがある。雨の時は走る気が起きない。前日飲みすぎたら、まず起きるのが辛い。どうしたって寝ていたい。

 生活をしていれば、すんなりと日々は流れていかない。

 ならば、何が大切なのだろうか。

 それは、走り続けられるか。細々とでも良い。ちょっとでも良い。ちょっとでもやる気になって、やってみるかと思える目標設定が大事なのだ。

 いきなり、ハーフマラソンを走ろうとしてはいけない。まずは5km、次は、目標タイムを上げてみる。欲を書かず、細々と続けられるか、どうかなんだ。