師走な日常

 師走だ。この言葉を書くのは何回目だろう。師走は走りきりたい。この一か月、傍から見て、「過労死するんじゃないか」というほど働き続けた。それは、自分の要領のなさに起因する。いわば、力不足というやつだ。
 その一方で、少しずつ自分なりの「コツ」というものが見えてきた。
 だが、あまりにも忙しすぎて、日常の細々としたことをなおざりにしてきた。日常のこまごまとしたことは、シグナル。今の自分の心の状態がどうなっているかを表す信号である。洗濯、掃除、靴ひもからすべて、忙しいとすべてが面倒になってしまう。その面倒くさいことが大事なのだが、それを後回しにしてしまう。それによって、さらに日常の風景が不快なものとなる。その不快がさらなるストレスを生む。結局は悪循環を生み出すのだ。
 いったい、自分はいつこの悪循環を断ち切る習慣をもつことができるのだろうか。