7月は、気持ちがときめいたり、そして、空しくなったりと、気持ちの上がり下がりが激しい月だった。
特に先週はただただ空しくなって、なんとも言い知れぬ気持ちになり、情けなくなり、希望がなくなり、そして、苛立ち、焦燥、それらが渦巻き、仕事にも影響し、いらいらしっぱなしだった。
自分は、いったいなにをしているのだろうか、ここではないどこかへ、そんなことばが頭をめぐり続けた。
結局、それは自分が虚勢をはり、虚しくなるだけだったのだ。他者は、私ではない。私が、他者に擦り寄るような、虚勢を張ったために、自分が虚しくなってだけなのだ。なぜ、ああいわなかったのか、ああいうべきであった、そうした後悔が焦燥となり、そして、からだをこわばらせる。
いったい、自分はなにをしているのだろうか。
季節は、8月だ。外は、花火の音が聞こえる。その音が私には虚しく響いてくる。ただ、むなしいだけ、かなしいだけ。さよならだけが、人生なのだ。
そして、8月は我を捨て、ただ空しい己と向き合う1ヶ月にしたい。
それゆえか、どうも自分はあらためて「からだ」と「禅」というものに目がいき始めている。