気合の気合とは

 よく「気合だ」といって、勝負事に臨むことがおおい。ここまで来たら気合だと。しかし、その気合とは何なのだろうか。
 気合だといって、気張ることなのだろうか、よくわからない。
 日曜の日経新聞を読んでいたら、「真の『気合』を求める」という記事が目に留まった。喜多流能楽師塩津哲生が語るというものだ。そこで、氏は「気合」について、こう述べる。

 宗家の教えは基本の形と気合の大切さの二点。昨今、その気合を取り違えていたいたのではと気付いた。「力任せに見る人を引き寄せるのではなく、じっと立っているだけでも見る人の気を自分の方へ引き込むことが本来の気合ではないかと」*1

 なるほど。「気合」というと、どうも身体が力む。力んで弾けるのではなく、受け容れること。気合というときの、他者との距離、そして、呼吸を大切にしようと思った。それが、非力な、凄みのない自分の目指すべき「気合」なのだと。

*1:日本経済新聞朝刊09年5月24日号25面