司馬遼太郎を読んだ。

 ひさしぶりに読書をしている。何を読もうかなとおもっていたら、司馬遼太郎の「世に棲む日々」を読んでみたいとおもったので、一気に四巻を読んだ。

 個人的には、どうも司馬遼太郎はそりが合わない気がした。歴史観がとか、そういう難しいことではなくて、単に文章の「感じ」ってやつだ。

 文体がどうも読みにくい。「教訓」めいたものを小説の随所に挟みこんでいくのも苦手。そして、主人公が余りにも「超人」的すぎる。その他の人々のあまりの凡庸さにかわいそうだとおもってしまう。人によって、その視線の温度差が余りにもちがうことが、なんか気になった。たしかに、時代を動かしてはいないけど、むしろ、そういった人々も「生きて」いたよね、とおもった。

 そして、肝心の「世に棲む日々」についてを読んでおもったこと、それは、単に「幕末」や「松蔭」を描きたかっただけでなく、それが書かれた時代への応答、もしくは総括だったのかなということ。つまり、司馬遼太郎なりの60年代から70年代初頭までの、いわゆる「政治の季節」と呼ばれた時代への応答が、この作品じゃなかったのかなとおもった。時代を変えようと先頭を切って倒れていく若者たち。一方で、観念ゆえに、正しさゆえに、互いを殺しあっていく若者たち。そうした、「政治の季節」の若者を、幕末の長州という舞台で描こうとしたのではないかなと、読んで思う。

 もちろん、自分は「政治の季節」を経験したわけでもないし、その詳細もよくわからない。

 ただ、読んでいるときに、ふと思い出したのが、三島由紀夫と東大全共闘との対話のあとがきで、三島由紀夫が対話の感想として、「砂漠のような観念語の羅列」といったようなことが書いてあったということだ。

 そして、「竜馬暗殺」という映画を見てみようともおもった。