書いてみると、どこまで自分がわかっていて、どこからわからないのか、わかる。なぜわかるか。書けなくなるから。あるいは調子に乗って書いていて急に自分が馬鹿に思えてきて、その先を続けなくなるから。
(中略)
書けなくなるところまで行くため、勉強して、勉強して、もう勉強じゃダメ、という八合目から、山頂めがけ登るんです。*1
書くことによって、自分の見えている地平線がどこまでか明らかになる、どこまでが明るくて、どこからが暗いのか。
書いていることに酔いはじめたときに、その地平線は限りなく広がっているように思えてくるかもしれない。けれども、そうして酔いにまかせて見ている風景は、ただの思い込み、錯覚なのかもしれない。
実は、広がっているようで、閉じているのかもしれない。そう疑ってかかることが、広い風景を見ることのできる技術なのかもしれない。