女とは。

 ○○であると、言い切ってしまうと、まるで港カヲル

 それはさておき、最近なんとなく頭をめぐっていたのは「女は俺を成熟させてくれた唯一の場所である」という言葉である。

 たしか、小林秀雄の本に出ていたよなという記憶はあったのだけれども、それが何の本か忘れてしまった。そこで、『考えるヒント』とかかなと思って、探したんだけど、違った。その一節があったのは『Xへの手紙・私小説論』であった。正確には、こういう言葉であった。

 女は俺の成熟する場所だった。書物に傍点をほどこしてはこの世を理解していこうとした小癪な夢を一挙に破ってくれた。*1

 この「女は」というくだりだけでなく、改めてその後の文を読んでみても、すごくずっしりとくる一節だなと思う。それに続く「書物に」というところなんか、どうしても自分を重ねてしまう。

 理由は単純で、数年前付き合っていた彼女に、喧嘩別れする際に「あなたの言葉は借りものの言葉」と言われたからだ。

 その当時は、大学に入って、マルクスやウェバー、そして岩波新書の青色、あるいは雑誌「現代思想」などを読んだりして、「権力批判」「ナショナリズム批判」をするのが知的であるという風な、「おれは知っている」「他のやつとは違うよ」といった、なんとなくインテリを気取っていた。

 だから、余計にその言葉が突き刺さった。

 それがきっかけで、「言葉に酔わず」に「知識を殺す」ことが知性なんじゃないかなと、自分の態度が変わっていたように思える。それが、自分にとっては「大人への成熟」ということを考えると、ひとつの原点になっているのだと思う。

 もちろん、そのことは今という時間軸から遡及的に考えてみてのことである。その当時は、かなり気がめいって、精神的にひどく落ち込み、自分で自分を支えるのがやっとで、いろんな人に対して、そのささくれだった気持ちを直接的に、間接的にぶつけていたと思う。

 そのときから、本当に自分は読書をするようになった。自分の気持ちを読書で支え、考えに考えた。自分を支えてくれるような言葉を必死で求めた。今はまったく読まなくなった恋愛に関するエッセイもそのときたくさん読んだ。

 そして、たまたま読んで、はっとした詩があった。それが、中原中也の「憔悴」である。「ぐっ」と来たところを抜き出すと、

 昔 私は思ってゐたものだった 
 恋愛詩なぞ愚劣なものだと


 今私は恋愛詩を詠み
 甲斐あることにに思ふのだ


 だが今でもともすると
 恋愛詩よりもましな詩境にはいりたい


 その心が間違つてゐるかないかしらないが
 とにかくさういふ心が残ってをり


 それは時々私をいらだて
 とんだ希望を起こさせる


 昔 私は思ってゐたものだった
 恋愛詩なぞ愚劣なものだと


 けれどもいまでは恋愛を
 ゆめみるほかに能がない


 Ⅲ

 
 それが私の堕落かどうか
 どうして私に知れようものか


 腕にたるむだ私の怠惰
 今日も日が照る 空は青いよ


 ひよとしたなら昔から
 おれの手に負へたのはこの怠惰だけだつたかもしれぬ


 真面目な希望も その怠惰の中から
 憧憬したのにすぎなかつたのかもしれぬ


 あゝ それにしてもそれにしても
 ゆめみるだけの 男にならうとはおもはなかつた!*2

 今、こうして抜書きをしながら、読んでみても、自分の気持ちに「すっ」と入ってくる詩であるなと改めて思った。

 でも、この「憔悴」もいいのだけれども、それ以上にその当時読んだ言葉で、今も自分の座右の銘ではないけど、好きな言葉がある。それが寺山修司の、

 さよならだけが人生ならば
 また来る春は何だろう
 はるかなるか地の果てに
 咲いてる花は
 何だろう*3

 今日、久々にその娘にあった。会ったというよりは、偶然すれ違った。特に言葉も交わさなかったし、目もあわせなかった。けれど、自分は気づいた。

 当時自分が「負けた」と感じた、そのはじけそうなくらいのみずみずしさをもっていた彼女も、なんとなく変わっていた。そのなんともいえないみずみずしさがなくなっていた気がする。それは、あくまでも勝手な自分の感じたところであるから、違っているかもしれない。

 そして、それと同時に、この数年で、自分の心の持ちようが確実に変化したのだなと確信した。

*1:小林秀雄『Xへの手紙・私小説論』(新潮社)p67

*2:中原中也中原中也全詩歌集 上』(講談社文芸文庫)p127-p128

*3:寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』(角川文庫)p131